大江広元縁の場所~稲荷・墓(五層塔・法華堂跡のやぐら)・大江元広邸跡

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大江広元は公家の出身。兄である中原親能が源頼朝に仕えたのをきっかけに、広元も鎌倉に呼ばれやってきました。源頼朝・頼家・実朝3代に仕え、政所(はじめ公文所)の初代別当としてその政治を補佐しました。

その大江元広にまつわる場所を紹介します。

金沢街道沿いにある明王院近くには大江広元稲荷や大江広元邸跡の石碑があります。また、裏山から天園ハイキングコースの山中に大江元広が本当に埋葬された墓とされている五層塔があります。

現在、明王院によって、「大江広元稲荷」がご開帳されています(2022年4月1日鎌倉殿の13人に大江広元登場を記念して)。

大江広元の墓

大江元広の五層塔

明王院の裏山から天園ハイキングコースに入ると、初弁天さまと共に大江広元の墓とされている五塔(五塔だと勘違いしていました)があります。

一般的には、大江広元の墓というと、北条義時法華堂跡の上(西御門にある源頼朝墓の東側山腹にある三つのやぐらの中央)という人が多いかと思いますが、あそこに大江広元は眠っていません。法華堂跡の供養塔は江戸時代に建てられたものなのですから。
こちらの五層塔が本来の墓なのだと思います。

大江広元の墓(五層塔)
大江広元の墓(五層塔)2008年撮影

法華堂跡の大江広元の墓

明王院や大江稲荷がある所は、鎌倉時代には、大倉(大蔵)と呼ばれていたそうです。

大江広元のお墓は大倉だよ→源頼朝墓(法華堂跡)がある大倉かな→大江広元の供養塔(法華堂跡)もそこに。。。の流れだったのでしょうか?知らないけど。

大江広元の墓
中央の大江広元の墓
大江広元・毛利季光・島津忠久の墓
大江広元・毛利季光・島津忠久の墓:鎌倉手帳より

真ん中が大江元広の墓です。(源頼朝墓の東側の山の中腹に並ぶ三つの「やぐら」)、左が広元の子で毛利氏の祖となる毛利季光、右が源頼朝の子ともいわれる島津忠久の墓です。

大江広元稲荷社

大江広元の木像が明王院で公開されています。
おそらく広元を祀る大江稲荷社の御神体かと思います。
こちらは、明王院の少し先にある大江稲荷社です。

大江広元稲荷
大江広元稲荷(撮影:鎌倉手帳の師匠 2022年4月)

大江廣元邸碑

十二所の住宅街に「大江広元屋敷跡の石碑」があります。大江広元邸は、バス停「十二所神社」から15分くらい歩いたところ。明石橋の交差点から川沿いに東へ30mほど行くと見つけられます。

この石碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑なんだそうです。

大江広元邸跡の石碑
大江広元邸跡の石碑(2022.03.31撮影:鎌倉師匠)
大江広元邸跡の石碑近く
大江広元邸跡の石碑近く(2022.03.31撮影:鎌倉師匠)

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